雅楽の童舞(わらわまい)について (洋遊会 上野慶夫)

雅楽の舞や音楽は、その多くが大和朝廷から奈良時代、万葉の頃の人たちによって唐や高句麗などから取り入れられました。その頃の雅楽は娯楽ではなく、宗教、儀式に必要なものとして、あるいは先進文化のひとつとして学ばれました。したがって、専門の樂人や舞人が中心で、アマチュアや子供が演奏、舞をする機会はあまりなかったようです。

本日行われる子供の舞、 童 ( わらわ ) 舞 は平安時代になり、雅楽が貴族の楽しみとして、生活の中にしっかり溶け込んでからはじめられたものです。特に皇族、貴族のプライベートな行事のひとつ、「算賀」つまり長寿の祝宴でよく上演されました。現代でも古希や喜寿のお祝いでおじいちゃん、おばあちゃんが一番喜ぶのは、お孫さんからのプレゼントだと思います。その頃の貴族も同じことで、長寿の主人公を喜ばせる超目玉が孫たちの童舞だったのです。

そもそも、そんな趣旨の舞ですから、プロのような完成された技術を期待されていたわけではありません。本日も舞人のかわいらしさに注目し、技術のほうは大目に見ていただきますようお願いいたします。雅楽を始めて半年間、毎週練習に通った4人の小学生たちです。

   童舞:迦陵頻(かりょうびん)

迦陵頻伽(かりょうびんが)、広辞苑によればサンスクリット語で kalavinka,

極楽に住むと言われる想像上の鳥です。妙音鳥、好声鳥と意訳されることもあり、非常に鳴き声のよい鳥だそうです。

雅楽の題名では「 迦陵頻 ( かりょうびん ) 」。最後の伽の字が抜けていま す。いつの間にか省略されてしまったのです。アルバイトを「バイト」、木村拓哉を「キムタク」と言う日本人の省略ぐせは、奈良、平安の昔からだったのでしょう。

いや、平安朝はもっとひどいのです。「迦陵頻」ならまだ良いほうで、紫式部や清少納言などはこの舞のことを、単に「 鳥 ( とり ) 」と書いて済ませています。まあ、当時は紙も墨も高かったせいかもしれません。もっとも「キムタク」の例でもわかるとおり、省略された愛称で呼ばれ る人物は、よほど世間に人気がある証拠ですから、この舞楽、「迦陵頻」もいかに王朝時代、人気のある舞だったかがわかります。

人気の理由は登場する子供の舞人の姿を一目見ればわかります。 紅 ( くれない ) の衣に極彩色の羽根、いかにも極楽に住む鳥です。 童舞 ( わらわまい ) が一族こぞっての長寿の祝いで行われたことは上に書 いたとおりですが、そんなとき、一族みなの眼の前に登場する子供をできるだけかわいい姿にしたい。そしてかわいい身振りをさせたい。これは永遠に変わらぬ親心です。本日の舞姿は王朝時代の人が考えたもっともかわいい姿だったわけです。

ところで、鳥をかたどった翼はわかりますが、手に持ったシンバルのようなものは何でしょう。これは銅拍子と言われ、迦陵頻伽の妙なる鳴き声をあらわすのだそうです。このへんが古代の人々と我々の感覚が少しずれるところで、今の人には銅のシンバルの音が妙なる鳥の鳴き声とは、ちょっと思えないかもしれません(それとも、銅器の町、高岡ならあまり違和感はないのでしょうか)。

身振りは雅楽の舞のもっとも基本的な形ばかりをつないだシンプルなものです。その中に、うまく子供らしい動きが出てくるように作られた名作です。