英国雅楽公演を終えて

 英国で雅楽の公演というのは、下手をすると物珍しがられるだけに終わるかもしれないとはじめは危ぶんでいた。何しろ日本でさえ雅楽に興味を持つ人はそう多くない。ところが、意外に観衆の鑑賞態度は真剣で、ある意味では日本以上の反応があった。私の、さぞや聞き取りにくい英語の解説も注意深く聞いて貰えて、非常に興味をもたれているとわかった。我々の演奏自体も日本以上の迫力だったのだが、観衆ははじめから雅楽に尊敬の念を持って観に来ていたように感じる。これは「古いものを尊ぶ」英国人の国民性に関係があるのかもしれない。

 今回は全部で3回の公演を行なった。滞在したべバリーの町はヨークシャー地方の実に美しい町だ。ホテルのまん前に「不思議の国のアリス」のモデルになったという11世紀創立の教会があった。休日にレストランの前で順番待ちをしていたら、隣の紳士から突然話し掛けられた。「貴方は昨日ハル市(ベバリーから15キロ離れている)で雅楽の公演をした人ではないですか。確か解説をしていた人でしょう。」と言う。こちらも気を良くして来場のお礼を言った。ヨークシャーの感想を尋ねるので、「古い石造りの家がたくさん残っていて美しい。日本ではこんな町並みは無い。これを残すのは大変だったろう。うらやましいことだ。」と言ったら、「あなた方こそ1300年前の音楽をやっているではないか。1300年前の舞が今でも継承されているとは大変なことだ。私は日本の経済発展よりもこのことの方がむしろ素晴らしいと思う。明日のベバリーの公演も観に行きます。」との話。

 聴衆の中には大学の先生や音楽関係者も多かったのだそうだ。この人もそんな人だったのかもしれない。しかし、一般に英国の人は舞台芸術というものを良く知っている。ひとつの舞台の上演には音楽や舞だけではなく、衣装、楽器、舞台設営などいろいろな方面の技術の継承が必要だということもよく理解されているようだ。したがって1300年間もそれらの技術が伝わったということに文句なしに敬意を表してくれたのだろう。今回上演してきた舞は衣装も音楽も源氏物語の頃の姿を残している。それは英国ではノルマン人の征服以前の時代だったのである。

 私は昨年まで保険会社でやや国際的な仕事をしていた。そこでは世の中の風潮どおりバブルの時には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと考え、そのあと続く不景気では「日本沈没もありうるか」と思ったりもした。経済からばかり世の中を判断していたわけである。灯台もと暗しで英国の人に雅楽で「経済発展よりもっとすごいことをしているじゃないか。」と言われるとは思わなかった。確かに1300年の間にはどれだけの人の雅楽に対する愛情と熱意と努力があったことだろう。今度の公演のため福岡町から派遣された舞台設営の人たちは現地のスタッフと協力して見事な高欄つき舞台を組んでいた。使用した手撚り、手織りの衣装は私の母親が嫁に来てから65年間手入れを続けてきたものだ。昔から雅楽の、しかも目立たぬことに力を注ぐ人たちは無数にいたのに違いない。それは他の芸能でも同じことである。そんな土壌が日本に、富山県にあるということだ。数字でははかれぬ素晴らしいことだ。経済の側面だけを見て日本沈没などと騒ぐのは、浅はかなことかもしれない。外国へ雅楽をしに行って返ってそれを教わったような気がする。

(平成12年11月19日北日本新聞掲載)

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