篳篥を習う人が最初に必ず質問することがあります。「篳篥の舌は、吹く前になぜお茶につけるのか」ということで、私も初心の方に毎回質問を受けてきました。これについて多少知っていることを書かせていただきます。もっとも、正解はいまだに発見していないのですが。
今を去ること35年前にはじめて篳篥(ひちりき)を習いました。先生は当時宮内庁の楽長だった方です。今と違って生徒はほとんどいませんでした。稽古はじめに私もやっぱりこの質問をしましたね。やはり、なんでお茶なんだとは誰しも考えることですから。先生のお答えは、「これはね。お茶に含まれるタンニンがリードの繊維を強くするんだと言われている」とのことでした。そんなの科学的根拠があるんだろうかと思いながらも、一応は納得しました。増本喜久子さんの名著(これを名著と思う理由はいろいろあるのですが、省きます)、「雅楽」(音楽之友社)にも「リードを適温のお茶にひたす理由は、ひとつにはリードをやわらかくすることと、今ひとつには茶しぶにたびたびひたすことが、リードの材質をよくするためであるといわれている」と書かれています。ただし、これはニュースソースが私と同じであろうと思います。と言うのは増本さん、この本を書かれている最中にしょっちゅうこの先生の所へ見えていられましたからね。よく稽古が中断したものです。
ところが、習っているうちにこの先生、すごく冗談の好きな人で、丸々信用はできないなとわかりました。まじめな顔でとんでもない冗談を言われるのです。一例をあげると、篳篥を習っていたのは東京の、雅楽の人たちには有名な神社でした。ある日、私が稽古前にご神前で参拝してから座につくと、「このところいつも参拝しているけど、願い事でもあるの」と質問されました。「はあ、女房がお産ですので」と答えたところ、「ほう、それならお願いしなきゃいかんな。何も安産は水天宮さまに限ったことじゃない。ちゃんとお祈りしなさいよ」まではよかったんですが、「鳥居のすぐ近くににお稲荷さんが祀られているだろ。あのお稲荷様は霊験あらたかなんだよ。あそこにも参拝したほうが良い」。「そんなにご利益があるんですか」。「うん、言い伝えがあってね。あのお稲荷様のお使いの狐が夜な夜なあらわれて病人を救うとか、喜瑞を表したらしい」。「へえへえ」。「そのたんびにその狐の尻尾の先が光ったって言うんだな」。「珍しい話ですね」。「うん、珍しいだろ」。そこで先生、いかにも嬉しそうに、「だから、この神社の名前を“尾の照る先”と言うんだよ」。「??」。これはつまり駄洒落になっているわけで、ここであんまり説明すると尊敬する宮司さんにしかられるからやめときます。もっともその後、私の子供は3人生まれまして、いずれも今に至るまで花粉症以外の病気をしたことがないというのは、全く尻尾の光るお稲荷様のお陰かもしれません。
同じ先生からこんなことを聞いた生徒さんもいるそうです。「吹きもしない舌をやたらにお茶にひたしても駄目だ。吹くたびにお茶につけていると、そのうちに舌の表面に繊維が浮き出してくる。それを削ってまたひたす。これを繰り返しているうちに、舌の音色がだんだん良くなる。最高になった所でやめる」。ただ、鳴るようになった舌をまた削るなど、普通はやらないのです。だから、私はこの話の方は与太じゃないかと思っています。
次は、私の今の先生のお話、前の先生のお弟子さんでもあります。ちなみに私は「弟子」と言う言葉を滅多に使わないのです。先生が自分の芸を後世に受け継いでくれると認めたものこそ弟子で、私などは自分でいくら弟子だと思っていても、先生の方がそう考えてくれるかどうかわかりません。その本当の「弟子」先生のお話は、「舌をお茶につけるというのは、一種の精神的な意味もあるんではないでしょうか。無理にお茶じゃなくても、お湯に浸してもちゃんと舌はやわらかくなりますよね。まず、お茶を入れてそれに舌をひたすと言うのは、書道のはじめに墨を摺ると同じような心持の目的があるような気がします」。
お茶の種類にこだわる人もいます。番茶が一番という人は意外に多いですね。ある人は「舌をやわらかくするには緑茶、材質を強くするには番茶」と言っていました。抹茶を支持する人はあまりいないようです。
私の地方に加賀棒茶(ぼうちゃ)というのがあります。金沢市中心に、私のいる富山など北陸一円で飲まれているお茶で番茶の味を上品にしたようなものです。金沢という町は殿様や上流の人だけでなく、番茶愛飲の庶民、東京で言えば、熊さん八っつぁんのような人たちまでちょっと上品で、違いの分かるところがありますからね。この加賀棒茶専門の喫茶店まであります。このお茶が舌を強くするにも、やわらかくするにも最も良いという話もあります。
西洋のリード楽器はどうなのでしょうか。以前、N響のオーボエの人がテレビで語っていたところによると、やはり各奏者が独自の工夫をしているそうです。これは主に、「リードを長持ちさせるためには何につけたらよいか」という目的とのことです。何でも「2歳の女の赤ちゃんのオシッコにつけるのが一番良い」と言う伝説があるそうで、その人、大真面目に語っていました。しかし、これは冒頭の先生のような人が言い出した与太がふくらんだ話に違いないと思います。私は今もN響の会員なので、その奏者の良い音を毎回聴いています。ただ、その後しばらくは聴くたびに、「あの音はオシッコのきいた音かな」なんて考えてしまっていけませんでした。
さて、私は紅茶党です。と言うのは、一番舌に色の染み込みやすいのが紅茶だからです(これは歯科の先生が間違いないと言っていました。歯の変色の最大原因は紅茶だそうです)。音に色は関係ないとは思いますが、黒く色のついた舌ほど鳴るような気がするのです。もっとも、私が紅茶をよく飲むというのがさらに大きい理由です。
そもそも、篳篥の舌をお茶につける風習はいつからできたのでしょう。古今著聞集には確か、舌を(原文には「篳篥を」とありましたが)船の上から湖水にひたす場面があったはずです。当時は一般に喫茶の風習が無かったのでしょう。体源抄をあらわした豊原統秋は茶道の上でも有名な人物だそうです。しかし、三大楽書のどれにも篳篥の舌とお茶の関係は書いてありません。ヒントとして冒頭の先生から聞いた話があります(これは本当の話だろうと思います)。江戸時代の宮中楽事の記録では、管絃を催した時の曲数がものすごく多いのですね。「本当に、こんなにたくさんいち時に吹いたんでしょうか。篳篥なんかくたびれちゃってどうしょうも無かったんじゃないでしょうかね」と聞くと、「ああ、そのかわりにね、ずいぶんのんびりとやったものらしいよ。お茶なんか飲みながら一日がかりでね」とのこと。ということは、その時篳篥吹きは当然目の前にあるお茶に舌をひたしたはずです。篳篥とお茶との関係は、多分その頃からできたものではないでしょうか。
江戸時代の宮中は食物に関して極めて質素だったらしいです。何かで読みましたが、あるとき近衛関白が天皇のお酒のお相手をしたところ、それがずいぶんお粗末な酒だった、いくらなんでもお気の毒だと思って、自分の領所の伏見から「剣菱」を取り寄せて献上したという話が残っているそうです。おそらく、管絃の時に飲んだお茶も上等の玉露などではなく、番茶だったと思います。この推理で行くと、本命は番茶だということになりそうですが、つまりは、私のように目の前にある、愛用のお茶につけていれば良いということではないでしょうか。
私の知っていることは以上のようなものですが、これについてはいろいろ研究した人も多いだろうし、また、私の知らない定説のようなものもあるのかもしれません。
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