雅楽とフンドシと万葉集

 前回は神社の落成式で舞楽、「賀殿破(かてんのは)」を上演しようとして、「御殿が破れる」と大騒ぎになりかけた話を書いた。雅楽には、他にも誤解を招きそうな曲名がいくつかある。

 たとえば、名曲の「抜頭(ばとう)」がそうだ。この曲名の由来にはいろいろな意見があるが、漢字は当て字だろうとの 見解が一般的だ。ただ、髪の長い大面をつけた舞については、「女の人が髪を振り乱して嫉妬に狂っている場面」という一説がある。上演する前、観客にその説を披露すると、もういけない。「頭を抜く」と書いてあるだけに、さて、旦那様はこれからどんな目にあわされるのだろうと、不安(期待?)感いっぱいで大惨劇を待つ人が出てくる。

 それから私の好きな曲、「 輪鼓褌脱 (りんここだつ ) 」。ご存知のとおり、早只拍子(変拍子)の軽快な曲だがこれも誤解を招く。プログラムで曲名を見たとたん、困ったような顔をする人がいる。どうやら、「 褌脱(こだつ)」に問題があるようだ。雅楽事典には、「褌脱」とは舞の方法の一種だと書いてある。また「渡しもの」、つまり移調された曲のことだと説く人もいる。しかし、何も知らずに字だけを見ると、確かに「褌(ふんどし)を 脱ぐ」とも読めてしまう。ぎょっとするのも無理はない。悪いことに、わが洋遊会の位置する富山県はその昔、「越中(えっちゅう)の国」であった。これが変な連想に拍車をかけているのかもしれない。

 ところで、「越中フンドシ」は越中の国の特産品だと思っている人が多いが、違うらしい。私の近所にも、そのメーカーは見たことがない。実のところ、「越中フンドシ」の名の由来は不明だとのことだ。ただし、発明した人が 越中守(えっちゅうのかみ)だったのだと言う説がある。ひとつの説では発明者は江戸時代の老中、「寛政の改革」で有名な松 平越中守定信だと言う。彼の改革の主旨、質素倹約を徹底するため布地を少なくした節約型フンドシが「越中フンドシ」だとの説だ。もうひとつの説では、発明者はもっと古い。戦国時代の名将、細川越中守 忠興(ただおき)の奥さんで、これも倹約家だったガラシャ夫人だ。つまり、最初の使用者が細川越中守だったと言う説である。どうも、あまりにも有名人の登場しすぎるのがこれらの説のあやしげな所だ。ともかく、現実の越中の国とフンドシは関 係がないらしい。

 さて、話は雅楽に戻る。現在の富山県で一番有名な越中守は 大伴家持(おおとものやかもち)だろう。名前だけの官職だった松平定信や細川忠興とは違って、 家持は実際に国司として越中の国 を治めた人だ。しかも、万葉集最多を誇る彼の歌は、半分以上が越中守時代の作なのである。越中国府のあった高岡市では毎年10 月、「万葉集全 20 巻朗唱の会」を開催している。万葉集の歌、 4,516 すべてを1人1首ずつ、3昼夜かけて朗唱すると言うスケールの大きいイベントだ。今年はこれにあわせて家持時代の雅楽、舞楽を上演するコンサートを開催したいとのことで、東京の有名団体、東京 楽所(がくそ)と洋遊会が高岡市から要請を受けた。しかも、JR高岡駅ホームでは既に毎日、幻想的な万葉風の音楽が流されている。富山県出身の雅楽家、太田豊さんの作曲で、古代の楽器、 編鐘(へんしょう)に似た楽器による音楽とのことだ。10 月 8 日のコンサートでは、この市の意気込みを無にしない、万葉らしい調べを奏でたいものと、目下プログラムを考案中である。

あとがき



「雅楽だより」 2006 年夏季号に掲載予定のところ、全国から集まった記事が多かったため割愛したものです。 10 月 7 日、 9 日には東京樂所のほか、現代舞踊団、ノマド〜sも参加して高岡市民会館で盛大に開催することとなりました。是非ご覧ください。

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