最近は東儀秀樹さんのような若い雅楽演奏家の活躍のせいか、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)の音色を素直に楽しむ人が増えたようだ。私の所属する富山県福岡町の雅楽団体、「洋遊会」の公演はいつも満員の盛況である。演奏する方もお客さんが多いと張り合いが出る。ここ数年で舞のレパートリーをいくつも増やし、英国公演なども大成功だった。
いったい、福岡町になぜ洋遊会のような立派な雅楽団体があるのかということをよく質問される。確かに富山県の小さな町にしては不思議と思われるかもしれないが、これにはわけがある。洋遊会の成立は江戸時代の末で、はじめは小規模な団体だった。その小さな会が明治十一年に北陸地方へ行幸された明治天皇のご休息所でたまたま演奏した。すると、それが雅楽のお好きな(と伝えられる)天皇ご一行のお気に召し、菊のご紋章入りの幟(のぼり)を賜ってしまった。時代が時代だけに「これは大変なことになった」というわけで、その後は会の規模を拡大し、定期的に宮内庁(当時は宮内省)の楽師を招待して教えを受けた。さらに楽器、舞装束、舞楽面、古楽譜から雅楽関係の古文書まで収集して全国的にも珍しい本格的な雅楽団体になったのである。
「
いかように 軽く見えても 世の人の 下には置かぬ 加賀の菅笠」
これは江戸時代末の京都での落首(らくしゅ)だ。幕末の動乱の際、諸大名が京都に集まった。その時島津久光や山内容堂などの維新史に名を残す古参大名をさし置いて、加賀の若様に過ぎない前田慶寧(よしやす)がいつも最上席を占めていた。やはり百万石のご威勢だったのだろうが、それを見て感心した京の人が詠んだものとのことである。ここで「加賀の菅笠」は加賀藩主の代名詞にまでなっている。その菅笠の最大の生産地が、当時は加賀藩領の福岡町だったのだ。草創期の洋遊会には江戸時代から続く菅笠の問屋が多かったらしい。そんな点も、宮廷音楽の団体としては大変ユニークだ。
最近の洋遊会の特徴は女性の会員が増えたことだ。世間一般には雅楽を女人禁制の世界だと思いこんでいる人が多い。現在の宮内庁楽部には男性しかいないので、なおさらそのような誤解を生むのだろう。歴史的に見ると決して女人禁制ということはない。ちなみに源氏物語では、姫君が盛んに雅楽をやっている。薫(かおる)大将が宇治の美人姉妹の合奏をのぞき見する場面などは、国宝の「源氏物語絵巻」にも描かれており、クライマックスの一つである。また、洋遊会の女性の舞で、「春庭花(しゅんでいか)」という人気のレパートリーがある。四人の舞人が冠を花で飾り、舞台を回りながら舞う華やかなものだが、古い楽書によれば内教坊(ないきょうぼう)という宮中の女性楽団に伝わった舞だ。今の宮内庁は男性だけだから男性楽員が舞うが、楽書に従えば実は洋遊会のように女性ばかりで舞う方が正しいのである。
そもそも、洋遊会へ来られる宮内庁の楽師さんは女性に教えることを嫌がりはしない。やはり、女性に教えるのは楽しいらしい。生徒の方も熱心なのだから、なおさらだろう。
源氏物語と言えば、来年の正月に源氏物語の舞と音楽を特集した演奏会を企画している。源氏物語に登場する舞や音楽の八〇パーセントは現在も上演、演奏可能だ。千年前の文学作品の音楽を今でも聴くことができるのは、世界中で日本ぐらいではないだろうか。そう考えると、この公演は意義があると思う。
源氏物語の雅楽シーンで一番有名なのは「紅葉賀(もみじのが)」の巻にある光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の「青海波(せいがいは)」の舞である。若き日の光源氏の気高さが見る者を圧倒する場面で、「源氏絵」と呼ばれる源氏物語を題材にした屏風絵にはたいていこのシーンが描かれている。ところが、青海波の舞はおいそれと上演できない。舞に使う装束が超高価なのである。雅楽の装束の中では一番豪華だ。縹(はなだ)色という深みのある緑青色の青海波文様(この文様の名前自体がこの装束に由来する)の地紋に、五彩の千鳥が七十余羽様々な姿態で刺繍されている。完全に揃えるとそれこそロールスロイス何台分かの値段になり、とても今の洋遊会では手に負えない。青海波は無理だが、頭中将にこだわって彼が物語の中で歌う「更衣(ころもがえ)」という催馬楽(さいばら)(歌曲)を演目に入れることにした。
頭中将は光源氏の生涯の友でありライバルだ。私は彼を声の良いテノールの人だと想像している。その理由は「乙女」の巻で彼がこの「更衣」を歌うシーンである。頭中将はこの歌の途中の「萩が花ずり」という文句を歌うが、ここはずいぶん高い音域のところだ。雅楽は西洋音楽と同じように音のピッチに大変厳格な音楽である。しかも、物語を読むと横笛が伴奏しているようだから頭中将も正しい高さで歌ったはずだ。この文句は西洋音階に直せば上のミの音から始まる。オペラ歌手ならともかく、普通の男性がいきなり歌うのはちょっと難しい高さだ。頭中将はよほど自分の声に自信があったのだろう。他の巻でも彼が朗々と歌う場面があるので、どうやら頭中将の美声は物語の中で一貫した設定らしい。とすれば、声が良くてパパロッティのようにやや太っていて、性格は明るくて派手めの人だったのかなどと想像してしまう。源氏物語というのはこんなところを実に細かく書き分けている。平安文学が好きな人には、是非雅楽に親しむことをお勧めする。平安時代の作者、特に紫式部は読者が相当程度雅楽を知っていることを前提に、物語を書いているような気がするからだ。まず、手始めに洋遊会の公演を聴きに来られたらいかがだろう。
(「北國文華」誌 2002夏号掲載)
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