福岡町で、雅楽団体「洋遊会」を率いるかたわら、この2年間富山新聞に「1,300年のクラシック」と題する雅楽の随筆を連載した。新聞社で一冊にまとめ、6月に刊行される。
あらためて連載を振り返ってみると、地方紙としては大変ユニークな企画だったのではないかと思う。雅楽は決して富山の郷土芸能というわけではなく、能狂言とか、西洋クラシック音楽と同じく全国共通の芸能だ。しかし、雅楽に関する記事がこれほどまとまって連載されたのは、全国紙でも見たことがない。新聞社にとって、この企画はかなりの英断だったろうと想像する。
実は富山県には我が洋遊会を含め、大小さまざまの雅楽団体がある。全国でも有数の雅楽県だ。雅楽が盛んな理由はおそらく富山県人の宗教心であろう。神道や仏教では大きな式典に雅楽を使う事が多い。神事仏事の盛んな富山県は古くから雅楽の需要が多かったのだ。我が家は祖父の代からの洋遊会員だ。祖父が洋遊会へ入った理由というのがちょっと変わっている。音楽好きだったわけではないらしい。祖父は戦前の人で、熱心な仏教信者だった。富山県の仏事では通常雅楽の演奏席が、最上段のお坊さんの近くにある。ある時、町のお寺へ京都の本山から偉い上人が来られた。その仏事で、上人のすぐ側へ坐りたかったというのが祖父の入会理由らしい。祖父は笙(しょう)という楽器を選んだ。この楽器の位置がお坊さんには一番近いのである。富山県では、昔こんなきっかけから雅楽を始めた人も多かったのかも知れない。
私が雅楽を始めたきっかけは祖父とは違う。私の若い頃、学校の音楽教育は西洋音楽一辺倒だった。私も東京大学の学生時代はオーケストラに属し、西洋クラシック音楽以外見向きもしなかった。当時は雅楽や邦楽に、むしろ「異国情緒」すら感じてしまったくらいだ。その頃大学に、岸辺成雄という教授がいらっしゃった。中国唐代音楽の研究などで権威の大先生だ。私は面白いと評判の、この先生の音楽ゼミに参加した。すると先生はこうおっしゃった。「ベートーベンやモーツァルトは素晴らしい。私も大好きです。しかし、だからといって日本の音楽に異国情緒を感じていてはおかしいじゃありませんか。それでは日本人として恥ずかしい」。この言葉を聞いて、故郷の洋遊会のことが頭に浮かんだ。灯台下暗しで、あれは先生の言われるように立派な日本の芸術だったのかもしれないと気がついたのである。その後、しばらくして私は雅楽の道に入った。
後年東京の雅楽団体のパーティーで、岸部先生とお会いする機会があった。「昔先生のゼミにいた学生です」と挨拶したらたいそう喜ばれた。「私のゼミから熱心に雅楽をやる人が一人でも出てくれたとはうれしいよ」。だが、考えてみれば、先生の言葉だけでは私は雅楽を始めなかったかも知れない。それはほんのきっかけで、やはり富山県、福岡町のような風土に住んでいたことが雅楽人生の一番のポイントだった。あらためて故郷の文化風土に感謝しているこの頃である。
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