舞の公演を終わって観衆にほめられるのは気分の良いものだが、ときどき「今日の踊りは良かったですね。」と言われてがっくりすることがある。雅楽では“踊り”ではなくて“舞”である。あまり言葉づかいを気にしない人もいるが、私は旧派に属するのかちょっと気になるほうだ。
辞書には「旋回など水平運動を主とする」のが“舞”で、「跳躍など上下運動を主とする」ものが“踊り”だと書いてある。しかし、雅楽にも走舞(はしりまい)といってかなり跳躍をする舞もある。私は“舞”と“踊り”の言葉の違いは単純に時代の違いによるものだろうと考えている。雅楽だけではなく、能でも舞という言葉を使う。演じられるのは“序の舞”、“中の舞”等であって“踊り”という言葉は出てこないようだ。これに対してそのあとの時代にできた歌舞伎で演じるのは“踊り”である。出雲の阿国(おくに)の頃は歌舞伎そのものを“歌舞伎踊り”と言っていた。したがって、歌舞伎の「勧進帳」で弁慶がやるのは“踊り”だが、おしまいの部分だけは“延年(えんねん)の舞”という名がついている。これは昔僧侶や山伏などが行った延年の舞(現在も平泉の毛越寺(もうつじ)に残っているそうだ)をここに取り入れているからで、やはり“舞”は古いものだという意識があるのだろう。
同じような言葉の違いに“装束”と“衣装”がある。これも雅楽と能では“装束”でそれぞれ“舞楽装束”、“能装束”と言うが、歌舞伎以降は“歌舞伎衣装”、“舞台衣装”と原則として“衣装”という言葉を使う。これも時代による違いだろう。ただし例外もある。神主さんの衣服は今でも“装束”と言うそうだ。また、歌舞伎と同じ江戸時代の言葉でも“火事装束”という言葉がある。金沢の成巽閣(せいそんかく)をはじめ大名屋敷にはよく殿様、奥方様の“火事装束”が展示されている。赤穂浪士の一隊が吉良邸へ討ち入った時に着ていたのも“火事装束”だ。あれを“火事衣装”とは言わない。“装束”はもったいぶった言い方として後の世に残ったのかもしれない。
雅楽の舞を見る楽しみのひとつは美しい装束である。基本的には源氏物語の頃と現在の様式はほとんど同じである。しかし、絵巻物や屏風絵など、時代を追って見ると装束の細部や色は少しずつ変化している。しかも感心するのは後の時代のものほどだんだん華やかさが増してくることで、つくづく日本人は昔からいろんなところで工夫を積み重ねてきた民族なのだ思う。
(平成13年 5月2日 富山新聞(第8回)掲載分より)
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