でんでん太鼓にしょうの笛


−子守唄や狂言の不思議な歌詞−
 先に出た百人一首のダイエットの歌人、藤原朝忠が得意だった楽器、笙(しょう)の話である。私はこれが一番雅楽らしいみやびな楽器だと考えている。何と言っても笙の奏でる微妙なハーモニー(和音)がすばらしい。

 昔、学校の音楽の時間に、和音はメロディー、リズムと並んで音楽の三要素の一つと習ったものだ。しかし、現実には世界の音楽うち、和音がさかんに使われるのは、西洋音楽と雅楽ぐらいのものらしい。西洋音楽の複雑な和音の基本はおそらく教会のパイプオルガンだろう。バッハやヘンデルの出発点は教会のオルガン弾きで、それが和音の豊富な彼らの音楽を決定した。笙は大きさがずいぶん違うが、理論的にはパイプオルガンと同じ構造である。パイプオルガンは金属のパイプ、笙は竹の管を同時に何本も鳴らして和音を奏でるわけだ。洋遊会が英国の教会で演奏会を開いた時、ちょうど大きなパイプオルガンがあったので、楽器紹介で「笙というのは、そこにあるパイプオルガンを小さくして口で吹く楽器です」と説明した。大変よくわかってもらえたらしく客席が沸いた。紫式部や清少納言も笙のことは、風流人の楽器だとか月夜に聴くと非常に良いと書いており、好きだったらしい。彼女らの音感は現代の西洋人に近かったのかもしれない。

 こんな美的な楽器を演奏する人がもっと増えて欲しいものだが、難点が一つある。笙は横笛や篳篥(ひちりき)に比べて入手しにくく、値段も高いのである。材料が限られている上、作れる人があまりいない。ところが、宮内庁のある大先生はよくこんなことをおっしゃっていた。「昔は笙がいくらでもあったのだろうか。不思議な童謡がありますよね」。先生の言われるのは誰でも知っている「ねんねんころり」の子守唄のことだ。あの唄には「里のみやげに何もろた。でんでん太鼓にしょうの笛」という文句がある。確かに里のみやげに貰うくらいだから、その頃は「しょうの笛」がどこにでもあったように聞こえる。ちなみに、同じような文句は、「素袍落(すおうおとし)」という古い狂言にも出てくる。しかし、現在日本のどの家でも、昔先祖がおみやげに貰ってきた笙がゴロゴロしているという話は聞いたことがない。「しょうの笛」とは果たして笙のことなのだろうか。

 かつて、雅楽にはもう一つ「しょう」という楽器があった。これは大変難しい漢字で簫(しょう)と書く。やはり何本もの竹管でできた笛だが、笙のように丸く束ねるのではなく横一列に並べたものだ。西洋でもパンフルートというよく似た楽器がある。クラシックのファンなら、モーツァルトのオペラ「魔笛」で、鳥刺しパパゲーノが持っている笛といえばお分かりだろう。ただ、この簫は中国の唐時代の人が好んだが、日本ではあまり使われなかった。今や現物は正倉院にしか残っていない。子守唄の「しょうの笛」はこれでもなさそうだ。

 というわけで、「ねんねんころり」は雅楽関係者にとって今のところ謎の唄なのである。

(平成14年1月28日掲載)

あとがき



 この宮内庁の大先生とは元楽長で、名著「雅楽神韻」を書かれた東儀俊美(としはる)先生です。

 私は直接ご指導を受けたことはありませんが、この「でんでん太鼓」のお話は、宮内庁楽部のホール、地方公演の解説でよくうけたまわりました。「雅楽神韻」にも、この話は書かれています。東儀先生の解説は大変わかりやすく、実は私は洋遊会公演で東儀先生の真似をして解説しているのですが、とてもあれほどすっきりとは行きません。

 「しょうの笛」の文句が狂言の「素袍落(すおうおとし)」に出てくるというのは、私が劇場で聞いた体験です。実は狂言ではなく、狂言を改作した歌舞伎舞踊、「素襖落」(どういうわけか、漢字が違います)に出てきました。今の尾上松緑(しょうろく)のおじいさんの松緑が得意だった名作歌舞伎で、中で、確かに「でんでん太鼓にしょうの笛」というセリフを言っていました。調べてみると、もとになった狂言の方にも同じようなセリフがあったわけです。お伊勢参りに出発する太郎冠者のセリフで、「(お土産には)奥様へは伊勢おしろい、わこ様方へは愛らしゅう笙の笛をあげましょう」というものです。

 岩波古典文学大系の解説によると、この「笙の笛」は昔、伊勢で売っていたおもちゃで、雅楽の笙を略式にしたものだとのことです。子守歌の「しょうの笛」もあるいはそれなのかもしれません。おもちゃならば、使い捨てにされて、現代にはあまり残っていないわけもわかります。しかし、昔はずいぶん風雅なおもちゃを売っていたものですね。

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