雅楽の曲や舞には、その成立をめぐって面白い伝説を持っているものが多い。古くからの雅楽の書物にはいろいろな伝説が書かれている。その中でも「蘭陵王(らんりょうおう)」の舞にまつわる伝説は、使用する面ともかかわりがあってユニークなものだ。
六世紀頃、中国の華北のあたりに北斉という国があった。そこの皇族の一人に蘭陵王長恭という人物がいた。蘭陵というのは中国の地名である。李白の「客中行」という詩に「蘭陵の美酒 鬱金(うこん)の香」という文句が出てくる。どうやら酒で有名な地方らしい。蘭陵王というのは、この地名を皇族の称号につけたものである。日本でもたとえば秋篠の宮様というように、皇族の称号にはよく地名をつける。つまり日本風にいえばこの人は蘭陵の宮様というわけだ。蘭陵王長恭は戦場では勇猛な軍人だったが、その風貌は大変気品の高い美男子だった。ところが、美男子というのは、戦場ではどうも将軍らしい押しがきかない。昔の中国でも色男は弱いものという常識があったのかも知れない。そこで、彼は戦場用に迫力満点の恐ろしい面を作り、毎回それをかぶって出陣した。この「蘭陵王」の舞は、長恭が面をかぶっておおいに奮戦している場面だというのが古い書物に書かれた伝説である。
実はこの舞については、別の本にはベトナムから日本へ伝わったものだと書いてある。また、南アジア系の調子と言われる沙陀調という調子でできているなど、伝説とは少々矛盾する事実もある。しかし、蘭陵王長恭は中国の史書に出てくる実在の人物だ。その人が北斉の軍を大勝利に導いたということも確からしい。それに、面をかぶるまでいかなくても、勇猛な武将が派手な鎧兜をつけて戦場へ出た例は、日本にもたくさんある。伊達政宗や山中鹿之介がそうだ。この話はいかにも本当にありそうな、面白い伝説だと思う。「蘭陵王」は略して「陵王(りょうおう)」ともいわれ、雅楽の代表的な舞である。
写真は私がその蘭陵王の面をつけて舞っているところだ。面をつけて舞うのは、はたから見るといかにも難しそうかもしれないが、正直なところ案外気楽な点がある。仮にしくじっても、どうせ素顔は見られていないのだと思えば、なんだか大胆になれる気がするのである。ひょっとしたら、面をつけた途端、もう精神的に変身が始まっているのかもしれない。人間は、こんなところは単純なものだ。伝説の蘭陵王長恭が面をかぶって戦場へ出たのも、本当の狙いは精神的な変身をすることにあったのではなかろうか。この舞を舞うたびに、私はいつもそんな想像をしてしまうのである。
(平成13年7月3日掲載)
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