雅楽の指揮者の役割をする楽器、
鞨鼓(かっこ)の話をもっとしてみたい。

 
 夏目漱石の小説「坊ちゃん」に、坊ちゃんが四国で剣舞(小説では「高知の何とか踊り」と書いてある)を見物する場面がある。三十何人かの人が抜き身を振り回しながら、勇ましく踊るのである。日頃はとかく田舎のものを馬鹿にする傾向のある坊ちゃんだが、あんなに接近した剣舞がよく同士討ちにならないものだと素直に驚いている。舞台の隅っこには、のんきそうに鼓を打っている人がいる。この役が一番重要なのである。皆これに合わせて踊っているから、この鼓がちょっとでも乱れると途端に同士討ちになると言う。そんな話を聞いて坊ちゃんはますます感心する。

 鼓に合わせてリズムやテンポとるというのは、日本人の感覚に合っているのではないだろうか。鞨鼓が指揮者の役割を担っているのも、それが理由なのだろう。

 雅楽の演奏会を実際にお聴きになった方は、演奏開始の際に一番前の鞨鼓の奏者だけが一人でお辞儀をするのを見たはずである。オーケストラの場合もお辞儀をするのは指揮者一人だけで、他の楽員は席に座ったままだ。聴衆には鞨鼓や指揮者が代表者なのだというのが、いやでも分かる。その上、鞨鼓奏者の場合、若造はまずいない。たいていこの道何十年の見た目にも老練な風采の人だから、一見して偉いというのが分かると思う。

 雅楽では、歌などの演目には鞨鼓を使わない。この場合は笏(しゃく)拍子と言って、神主さんが正装の際手にたずさえている。笏を二つに割ったものをたたいて拍子をとる。これも言わば指揮者の役だが、紫式部は宮中の合奏ではこの役だったという話をテレビ番組で聞いたことがある。とすれば彼女は大変な雅楽の達人だったということになる。もっとも、何の文献にその話が出ているのか私はいまだ発見できない。ご存知の方があったら是非教えてもらいたいものだ。

 鞨鼓の打ち方は片手でトンと一発打つか、トントントンという風に連続して打つか、あるいは両手でカラコロ打つかの三種類しかない。曲の中で打つポイントも、一定のパターンがある。それを一秒の何分の一かずつ加減しながら、合奏のテンポを決めていくわけだ。雅楽は必ず曲の始まりがゆっくりで、次第々々に速くなっていく。この「次第々々に」というのが一番苦心するところで、それを自然な流れにし、だんだん曲趣を高めるのが鞨鼓の役割だ。実際洋遊会の岡田会長のように慣れた人の鞨鼓で合奏すると一発ごとに、「少しおさえて。」とか「よし、いいテンポだ。」とか語りかけてくるように聴こえるものだ。

 剣舞、「高知のなんとか踊り」の鼓のように人間の命まで預かっているわけではないが、雅楽の合奏の命を一手に預かっているが鞨鼓の「トントン」と「カラコロ」なのである。

(平成13年10月10日 富山新聞(第27回)掲載分より)

あとがき



 以上のとおり書きましたが、何と言っても室内楽形式なのだから雅楽で指揮者の役割を負っているのは鞨鼓だけではありません。たとえば筝などはテンポを決めるのに重要な役割があります。太鼓と鉦鼓の仕草、動作もそうです。雅楽をよく知らない人が打つと、「楽譜にある所で音が鳴れば良いのだろう」と言わんばかりの打ち方になり、形や仕草の方は気にしません。しかし、打ち物の人の仕草というのは、そのまま指揮者の身振りに当たるわけで、音を出すまでの仕草は大変重要です。管絃の演奏で打ち物が一番前にいる理由は、仕草を他の演奏者に見せるためと言って良いと思います。ただ、メンバー全体が初心者の場合は、他の奏者にも打ち物を見る余裕がなく、楽譜とにらめっこということになりがちです。楽譜を見て演奏しているうちは、実は本当の雅楽の面白さが出ているとは言えません(オーケストラでは楽譜を見ているので、雅楽入門者はこの点を誤解していることが多いようです。雅楽の人は粋がって暗譜をしているわけではなく、その必要性があるからです)。

 それでは、舞楽の時に太鼓(大太鼓/だだいこ)が管方から見えない位置なのはなぜだ、と言う人がいましたが、舞楽の場合、指揮者は舞人なのです。管方は舞人の一=iいちろう)から目を離してはいけません。ただ、「あまり舞に合わせようとすると遅くなるよ」という先生もいます。この辺の呼吸は全く経験でしょう。

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