洋遊会中興の祖というべき川島静哉氏が、管絃にとどまらず舞楽を洋遊会に導入したのが大正八年。
時には繁栄し、また時には自然衰退の途をたどりそうになりながらも、今日まで伝えられてきました。
無形文化財として町からの指定を受け、文化行政に対する関心も高まる中で、洋遊会にとっても転機となる機会と催事がありました。 活動の拠点となる施設が整備され、一時は後継者がいないため途絶えていた舞楽演目は改めて修習。さらに新たな演目にも挑み、今に至っています。
現在の主な洋遊会の舞楽演目の概要と、洋遊会でのそれぞれの舞楽に係る記録を紹介します。

左舞。「左方舞」ともいい、唐、天竺(インド)、林邑(ベトナム)から伝わった音楽「唐楽」を伴奏とする舞です。
装束には赤色系統のものを用い、金具は金色のものが使われることが特徴です。
舞人は舞台左袖(客席から見て左側)から出入りし、舞人の足の動き出しも必ず左からとなっています。


襲装束 方肩袒

「振鉾(えんぶ)」は周の武王が殷の紂王を討とうとした際、商郊の牧野に左に黄鉞を杖とし、右に白旄をとって、勝利を神に祈ったのが始まりとされる舞です。舞楽を始めるにあたり、舞台を清めるための「お祓い」の意味を持つものとされています。


正式な振鉾は三つの舞に分かれており、第一節は左方が、そして第二節は右方。第三節は合鉾といい、両方の舞人が二人並んで、第一節、第二節とそれぞれ同じ舞を同時に舞います。
現在、洋遊会が所有している襲装束は、左方の装束のみであり、第一節のみを行っています。将来、洋遊会による正式な振鉾を舞えるようにしたいと考えています。

左舞/平舞/四人舞/襲装束 方肩袒

この舞楽の舞姿は「鳳凰の舞う様」と言われるものです。


大正八年、楽師豊時義先生に就いて修習された、洋遊会にとって最も歴史ある舞楽演目です。

装束は昭和9年、高田茂装束店において誂えられました。
高岡市の地名の由来が、詩経の「鳳凰鳴矣干彼高岡」であることから、平成17年の高岡市福岡町合併記念式典では、洋遊会の萬歳楽がその開会を飾りました。

左舞/平舞/四人舞
襲装束 片肩袒


装束は、「萬歳楽」と同じ襲装束を用いますが、「賀殿」ではこの曲専用の鳥甲を用います。

安齋省吾先生、東儀雅季先生に就いて、平成16年に修習したもので、洋遊会にとっては最も新しい舞楽演目となりました。

左舞/走舞/一人舞
裲襠装束(毛縁装束)

中国・北斉(550〜577)の蘭陵王長恭は、その容姿の美しさから、戦場では仮面付けて指揮をとったとされる故事に基づく舞楽です。装束はこの演目だけに用いられるもので、豪華かつ恐ろしい面をつけ、金色の撥をもって舞台四方を動き回ります。


洋遊会では、大正11年豊時義先生に就いて修習されましたが後継者がなく、一時途絶えていました。

福岡町でこの舞楽が再び舞われたのは東儀雅季先生が舞われた、平成4年の「ふるさとみらい21」で、23年ぶりでの復活となりました。以来現在まで多くの会員がこの舞の修習に励んでいます。

装束は、大正13年に高田茂装束店で、平成15年に大槻装束店で、二度誂えています。

左舞/平舞/四人舞/蛮絵装束 片肩袒

唐の玄宗皇帝が、その年の開花の遅さを嘆き、楼上でこの曲を奏したところ花がたちまち咲き始めたという逸話に基づくとされています。曲の前半部分のみを舞う場合は「春庭楽(しゅんでいらく)」と曲名が変化します。


「春庭花」は、大正13年豊時義先生に就いて修習され、今日まで会員によって引き継がれています。
洋遊会にとって、大変伝統ある舞楽演目です。


左舞/平舞/四人舞/蛮絵装束 不袒

「五常」とは、人が守るべき五つの道徳(仁義礼智信)を示すものとされています。


「五常楽」は、安齋省吾先生、東儀雅季先生に就いて、平成15年に修習しました。
この二曲には「蛮絵装束」が用いられます。「蛮絵」とは、装束に刺繍された二頭の相対する唐獅子の丸紋です。
洋遊会の蛮絵装束は、昭和3年に金沢市の吉川法衣店で誂えられたもので、現在まで会員によって大切に扱われています。

左舞/童舞/四人舞/別装束

迦陵頻とは、極楽に住むといわれる霊鳥です。子供4名による舞で、鮮やかな羽を着け舞います。手に持つ小さなシンバルのようなものは「銅拍子」といい、打ち鳴らされる音が霊鳥・迦陵頻の鳴き声を表すとされています。


近年は、学校等で日本文化が積極的に取り上げられるようになり、洋遊会でも児童を対象とした雅楽教室などに協力する機会をいただいています。
平成18年から行っているこの舞楽演目ですが、こうした背景があり、将来の後継者として期待をしています。

装束はその都度借用しています。

右舞。「右方舞」ともいい、主に朝鮮半島から渡来したとされる「高麗楽」に合わせて舞われます。
装束は、緑を基調とし、金具は銀色が使われます。
舞人は、舞台右袖から出入りします。
楽器の編成は左方と異なり、笙は用いません。横笛も「龍笛」ではなく小型の「高麗笛」を用います。
曲はリズミカルで、舞振りも拍節を重視したものとなります。


右舞/走舞/二人舞/裲襠装束(毛縁装束)

2匹の龍が楽しげに戯れる様子から、別名「双龍舞」。本来は面を着けますが、女性や子供が舞う場合には花をあしらった冠を着けます。


洋遊会では、平成13年以降に多忠輝先生に就いて修習しました。大正14年に薗兼明先生に就いて習得したとする記録がありますが、残念ながら直ちに途絶えてしまったようです。
近年では、児童もこの舞楽の修習に励んでおり、洋遊会では大人子供各1人の二人舞で公演を行ったこともあります。

装束は平成13年に大槻装束店で新調しました。



右舞/武舞/四人舞/裲襠装束(錦縁装束)

戦勝祈願の舞の陪臚は盾、鉾、太刀を用いて舞います。装束は赤色系で曲自体も本来は唐楽で笙も用いますが、舞楽としては右舞に区分することになっています。舞楽演目すべてを通じて、「武舞」は、この曲と「太平楽」の2曲のみであるため、左右のバランスで区分されたのではないでしょうか。


平成8年の国民文化祭とやま「雅楽の祭典」で日本雅楽会がこの舞を行われました。その際、大変会場を魅了し、是非洋遊会の新たな舞楽として加えたいという機運が高まり、取り組むこととなりました。

以降、多忠輝先生の指導を受け修習に励んでいます。当初は、日本雅楽会の杜多恵子氏に舞の手順を教わりました。

装束は平成9年に京都井筒で誂えています。