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江戸時代の後期から、この地方では神社や寺院の式楽から始まって雅楽が親しまれたと言われています。
現在の洋遊会の前身が結成されたのは、文久元(1861)年の事で、朝順恵氏他の雅楽愛好家たちが、「暢日連」という愛好会を結成しました。
明治11(1878)年、明治天皇は大隈重信らを伴い北陸地方を御巡幸され、福岡町の島田七郎平邸(現、島田邸矢水苑)で御休息を取られました。
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その際に暢日連は向かいの酒井仁十郎邸で五常楽、越殿楽を演奏し、御一行を大変喜ばせました。その時、使用を許された菊の御紋章入りの幟が、現在も洋遊会に保存されています。これを機会に町で雅楽が大変盛んになり、宮内省との交流が生まれました。 |