江戸時代の後期から、この地方では神社や寺院の式楽から始まって雅楽が親しまれたと言われています。
 現在の洋遊会の前身が結成されたのは、文久元(1861)年の事で、朝順恵氏他の雅楽愛好家たちが、「暢日連」という愛好会を結成しました。

 明治11(1878)年、明治天皇は大隈重信らを伴い北陸地方を御巡幸され、福岡町の島田七郎平邸(現、島田邸矢水苑)で御休息を取られました。
 その際に暢日連は向かいの酒井仁十郎邸で五常楽、越殿楽を演奏し、御一行を大変喜ばせました。その時、使用を許された菊の御紋章入りの幟が、現在も洋遊会に保存されています。これを機会に町で雅楽が大変盛んになり、宮内省との交流が生まれました。



 大正8(1919)年、当時の指導者川島静哉氏が、宮内省楽師東儀俊義氏の意見により会名を「洋遊会」と改めました。さらに、舞楽面、装束、楽器、古文書、楽譜等を収集し、数々の舞を習得して全国的にも珍しい、舞楽を完全に行える民間雅楽団体に成長させました。その後、京都の社寺に招かれ舞楽を行うなど、全国的な活躍を続けました。

 戦後は一時的に会員の減少などに直面しましたが、昭和45(1970)年11月17日に、福岡町の無形文化財に指定された結果、再び町民の間に雅楽を支援する機運が高まり、現在も盛んな活動を続けています。

  平成8年10月に開催された「国民文化祭とやま'96」では「雅楽の祭典」を成功させ、平成12(2000)年の英国ヨ−クシャ−州公演が大好評を博し、BBCテレビで絶賛されました。
2011年10月、洋遊会は発足150年を迎えました。
同年10月8日に、150年記念公演及び祝賀会を開催し、「百五十年誌〜悠久の雅〜」を発刊しました。